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 思い出したくても思い出せない、そんな感覚はずっと続いている。

 ほとんど覚えていないけれど、何かがあった。それは、確実。

 でも、ひとつだけ、ひとつだけ解った事が有る。

「帰るんだよ。」と背中を押してくれたのはカヲル君だった。

 僕にとって、カヲル君の存在とは何なんだろう?

 

 あの、忌々しい儀式の中で、カヲル君の顔を見て安心したんだ。

 あの頃、僕にとって唯一無二の見方だと思っていたから。

 綾波ですら拒否してしまった僕にとってのたったひとつの安心できる人だったのかもしれない。

 

 でも・・・・

 

 と思う。

 

 僕は何か“重要な事”を見落としている、そんな気がする。

 それが何だかは解らない。

 解らないけれど、きっと、重要な事。

 

 だから、思い出さなければ・・・・・と思う。

 思い出したいと思う。

 でも、思い出せなかった。

 

 あぁ・・・・・

 今、凄く、綾波に逢いたい。

 僕の知っている、二人目の綾波に。

 そして、謝りたい。

 君を、あの儀式の時に君を拒否してしまった事を。

 

 

 

 

 

 

 

I wish your・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

  楽しかった時間は、あっという間に終わった。

「碇君は有名人だったのよ?」

 とエリちゃん(佐々木さんって言ったら、泣かれたんだ)が言い出したのをきっかけにあの頃の思い出話になっていった。(僕、有名人だったなんて知らなかったよ)

 初めて知った事には驚いたけれど、僕の知らない所でもきっと、いろんな事があったのだろうと思う。

 最前線に居た僕には全く分からなかった、避難している人の事。どんなに不安でいたかなんて。どんな状況だったかなんて。トウジもケンスケも、ヒカリちゃんですら何も言わなかったから。

 ・・・・・違うな。

 言えなかったんだ。

 今なら、そう思える。

 それ位の視野すら持っていなかった当時の僕の狭量さに落ち込みそうにもなるけれど、あの頃は本当にいっぱいいっぱいで、余裕なんて無かったから。言い訳にしかならないけれど、自分が死なない為に、使徒を倒す為に、本当にそれだけしか考えていなかった。

 使徒を倒さなければ、僕が死ぬんだ。

 使徒を倒さなければ、世界が滅びるんだ。

 本当にそれだけだった。アスカみたいに“世界の英雄になる”んだとか、考えも及ばなかったんだ。目の前で戦う綾波やアスカを助けたい、そんな程度だったんだ。

「カヲル君、あのさ・・・・。」

 黙りこんだままだった僕に文句も言わずに待っていてくれたカヲル君に声をかけた。迎えに来てくれると連絡が入ったから、そのまま待たせてもらってるんだけど、みんなが帰った途端に無表情になり黙り込んだ僕をどう思ったんだろう。

「疲れた?」

 返ってきたのは優しい言葉で。

「・・・・・・疲れたけど、楽しかったから。」

 体力の無い僕からしたら、今日は頑張ったと思う。でも、楽しかったし、気付かなかった事も気付く事が出来たし。

「それは、良かった。」

 笑顔でそう返されると、次に続けようと思った言葉が出なかった。

「また、遊びに来るといいと思うよ。近いんだし。」

 再び黙り込んだ僕に、カヲル君は優しい。

「君の件に関しては、僕たちにも責任はあるんだし。」

「え?僕たち?」

 考えるより先に、言葉になった。“僕たち”って・・・・・

 他は誰?

 記憶が無い僕からしたら、とても重要で、知りたい事で・・・・

「それって・・・・・・・」

 綾波?二人目の?さっき、そう言ってたよね?

 聞きたい事も、知りたい事も沢山あった。知っているのはカヲル君だけだと思ったから。

「知りたいの?」

 真剣そのものの赤い瞳が向けられた。

「・・・・・・知りたい。知らなければいけない事だから。」

 きっぱりと言い切った僕に、少しの躊躇いをため息と共に吐き出したカヲル君が口を開いた。

「答えはね、リリス。君の言う、綾波レイ。」

 驚いた、と言うよりは、あぁやっぱり・・・・って感情が大きかった。そんな気はしてたんだ。さっきもそう言ってたし。足したりないパズルのピースは、リリス。綾波レイ。

 多分、これで完成する。

 出来上がったパズルは結構、壮大で・・・・・

「じゃぁ、僕が女の子になったのは・・・・・・・」

「リリスの願い・・・・・・・かな?」

 綾波の、願い?

 どうして?

 さっきから、それが不思議だった。

『女の意地と言うか・・・・女のプライドというか・・・・・』

 カヲル君が言った言葉。意味が解らなかった。だから、知りたかった。

「ま、僕もそれに賛成したし?」

 カヲル君が?

 どうして?

「・・・・・・どうして?」

 想いが言葉になる。意味が解んないよ、綾波。

「彼女の個人的な願いと今後とられるであろう他者の言動。それを聞いて僕も賛成したんだ。」

「え?」

「彼女は言ったよ。『碇君が碇君のままで戻ったら、この呪縛から逃れられない。』と。」

「呪縛?」

 さっきも、そう言ってた。呪縛。

 僕が僕のままだったら、サードチルドレンのまま。

 エヴァに関わり続けなければいけないって事?

「う~ん、そう言ったら言い過ぎかもしれないけれどね、言いえて妙だとは思うよ。」

「言いえて妙?・・・・・意味が解んないよ。」

「解らない?本当に?」

 覗きこまれる様に見つめられた真摯な瞳に、思考が空転しそうになる。

 僕が僕のままだったら・・・・・・そう考える。

 確かに、今みたいな生活ではなかったと思う。父さんや母さんと素直に向き合えたかどうかも解らないし。

 エヴァのパイロットのままだったら・・・・・・サードチルドレンのままだったら・・・・・・、僕はどうしていたんだろう?

 確実に言えるのは、アスカ同様、ネルフの広告塔の一人としての生活があったであろう事。

 アスカの様に好んで人前には出なかったにせよ、それでも“そういった事”はあったであろう。そして、ネルフに所属して、前と大して変わらない生活をしていたのかもしれない。

 でも、それって・・・・・・・

「!!!!」

「解った?」

 僕の変化に気付いたカヲル君が声をかけてきた。

 さっきは、そこまで考えなかった。考え付かなかった。呪縛の意味。

 僕がサードチルドレンのままだったら、全く今とは違ったであろう現実。

「それって・・・・・・・」

 巧く言葉に出来ない。でも、ようやく解った様な気がする、呪縛の意味が。

 上っ面の意味合いだけじゃなく、その裏に潜んだ現実が。

「多分、大筋では間違っていないと思うよ。君の考えで。」

 あぁ・・・・そうか。僕が僕のままだったら、きっと、未だにミサトさんとアスカと一緒だ。母さんが還ってきたからって、一緒に暮らしていた保証は無い。

 変わらずに一緒に暮らし、掃除をして洗濯をして料理を作って・・・と家事の一切合財をしていたと思う

 そして、それが、呪縛。

 確かに、言いえて妙、かも知れない。

 言葉だけの感謝と罵声。優先されない僕自身。してくれて“ありがとう”ではなく、してもらって“当たり前”な態度。嫌気がさしても逃げることなんか出来ない。そんな事をしたら、仕事が倍増するだけでなく、罵声と、暴力だってあるかもしれない。

 あぁ・・・・・確かに、そうかもしれないよ、綾波。

 逃げたくても逃げられない、逃げ道はどんな手を使っても塞がれそうだ。

「カヲル君。」

「何?」

「でも・・・・・どうして・・・・」

「どうして、女の子になってしまったか、でしょ?」

 カヲル君の問いにうなずきで返す。

「それが、リリスの願い。」

「さっき、そう言ってたよね?」

「そうだよ。だって、それが、リリスの、綾波レイの・・・・レイちゃんからのお願い。」

「綾波の、願い?」

「そう。」

 ゴメン、綾波。僕には君が理解できない。

 確かに呪縛から救ってくれた事には感謝する。でも、僕は女の子になりたかった訳じゃない。

 父さんや母さんと暮らせている事には感謝できるけど。

「先ずね、“碇シンジ”が“碇シンジ”のままではいけない、が始まりなんだ。」

 そう言ってカヲル君は僕を見た。

「・・・・・・・・。」

 何と返事をしたらいいのだろう?言葉が見付からない。

 さっきから、と言うより、今日聞かされた・・・・、違うな。今日聞いた、聞きたかった事や話してもらえなかった事や知らなかった事は、僕の許容範囲を超えてしまっている。あまりにも考えなければいけない事が多すぎて、巧く整理出来ない。

 そんな僕に気付いているのか、カヲル君はゆっくりと話し続ける。

「君が君のままだったら、サードチルドレンのままだし、呪縛からの解放は難しかっただろうと思う。

 じゃぁ、どうするか?

 君を別人にすればいい。

 君が“碇シンジ”でなければ、呪縛は発生しない。」

 確かにそうだ。そう思う。僕が僕でなければいいのだ。

 でも・・・・・・

「だからと言って、君が全くの“他人”になってしまった場合、“親子のままでいられるのか?”となってしまうんだ。」

 確かに。人好きな母さんと違って、父さんは人嫌いな人だし、そんな人が“他人”を引き取るなんて想像できない。ましてや、ネルフ総司令の地位にいる人が・・・・となると、違う問題も発生するんじゃないかと考えてしまう。

 僕が僕でなくなっていても、“親子”のままでいられる関係。そう考えると中々難しい。

「碇指令の子供は、君だけだ。しかも、君が小さい頃にユイさんは居なくなっている。もし、君の下に弟がいたとして仮定する。するとね、エヴァに乗れてしまう年齢になってしまうんだ。」

 自分の年齢と、母さんがいなくなった時の年齢を考える。すると、確かにそうなってしまう。生まれてすぐの子供が居るのに、実験なんかに参加は考えないだろう。

「だからね、考えるのを止めたんだ。考えても考えても答えは出なかったし、“君と言う存在”がそこに居れば、そこにいる人が考えてくれるんじゃないかって。」

 すごく、勝手な話なんだけど。

 そう付け加えてカヲル君は微笑った。その顔はとても寂しそうで、彼もまた、この件で心を痛めてくれた人の一人なんだと改めて感じた。

「だからね、レイちゃんの希望通り、女の子にしたんだ。」

 “だから”が何を指すのかは理解できなかったけれど、きっと、綾波と僕の事を一生懸命に考えてくれたんだろうと思った。

「君は胸を張って生きていけばいい。」

「胸を張って?」

「そう。君は何も恥じる事は無い。皆、きみを助けたいと思っているんだ。皆、君に手を貸したいと思ってるんだ。皆、君に甘えられたいと思ってるんだ。」

「え?」

「あの頃、君たちに全てを押し付けてしまったから。」

 そ・・・・・んな・・・・・。

「あの頃、君が苦しんでいるのを知っていても、何もしなかった自分を知っているから。」

 でも・・・・・・・・・。

「あの時の事を本当に気にしているから・・・・・だから、君に、君たちに幸せになって欲しいと願っている。
 君だけじゃない、惣流さんにも、鈴原君にもね。」

 そんな・・・・・

 でも、感謝をしたいと、感謝をしなければいけないと思った。

「・・・・・・時間だ。」

 部屋に置いてある時計を確認してから、カヲル君が言った。この様子だと、時間を気にしながら話をしていたのかもしれない。

 聞きたい事も、知りたい事も、まだまだ沢山あったけれど、最後まで話せなかった。

「じゃ、行くよ。」

 そう言ってカヲル君は僕に手を差し出した。僕はその手を借りて立ち上げる。

「歩ける?」

 たった数歩の距離だった。でも、今の僕には遠く感じる。

 きっと、この距離が、僕とアスカやミサトさんとの距離なんだろうな・・・・などと考えてしまった。

 だから、そう聞いてくれたカヲル君の優しさに、僕は甘えてしまう事にした。

「残念ながら、無理っぽい。」

「そう。」

 カヲル君は父さんや加持さんの様に僕を抱き上げると、そうっと、車椅子に座らせてくれた。

「君はね、思い出さなければいけない。」

 カヲル君の手が僕の頬に触れた。

「違うな。思い出して欲しい。レイちゃんの為に。」

「カヲル君。」

「何?」

「ありがとう。君に逢えて嬉しかった。」

 随分と前な気はするけど、思っているよりも時間は経過していない。そんな、少しだけ前にカヲル君に言われた言葉。あの時とは全く状況は違うけれど、でも、本当にそう思った。

 カヲル君、君に逢えて嬉しかった。

 君が生きていてくれて嬉しかった。

 だから、綾波、君にも生きていて欲しかった。例え3人目が自分自身であるとはいえ、知識の伝達はあっても感情的には全くの別人である3人目ではなく、僕の好きだった綾波に。

「シンジ君?」

 クスクスと笑いながらの返事。

「僕もそう思うよ。君に逢えて嬉しかったし、君とまた逢いたいと思う。」

「カヲル君?」

「だから・・・・・・また、遊びに来てよ、ね?」

 僕は、あの頃みたいに自分の顔が赤くなるのに気付いた。

 

 

2011.04.29