「俺ね、碇さん。」
何時に無くまじめな顔でケンスケは言う。その目は、ここではないどこか遠くを見ているようだった。
「俺さ、エヴァに乗りたかったんだ。」
「相田・・・・さん?」
それは、他の人が居ない2人だけの時間だった。
作為的なものなのか、そうでないのかは解らない。でも、不自然さのカケラも無いくらいに当然の様に作られた不思議な時間だった。
「俺さ、ずっと・・・・・・」
言葉を切り、手を握り締める。
「エヴァにさ、乗りたかったんだよ。」
繰り返された言葉。
ずっと、知ってた言葉だった。
「だから、シンジの事、ずっと、うらやましいと思ってた。」
ケンスケ・・・・・・
「うらやましくて、妬ましくて、心の中じゃ憎んでたかもしれない。」
・・・・・・・・・言葉が、出なかった。
「親友の振りしてさ、そばに居ればエヴァの情報が入るかもしれないとか、綾波や惣流とも仲良く出来るとか・・・・・・・そんな打算ばっかりだったんだ。」
初めて知った、ケンスケの心。
そんな事考えてたんだ・・・・・・・ゴメン、気付かなくって。
「あいつが苦しんでるの、知ってたのに・・・・・・。」
「・・・・・・・」
「一番そばで見てきたのに、何も出来なかった。
・・・・・・・違うな。何もしなかった。」
独り言のようなケンスケの言葉。
違うよ、ケンスケ。何もしなかったのは僕の方だ。
「委員長もね、シンジの事、怒っていたし・・・・嫌ってた。」
・・・・・・知ってる。
「トウジの事で、惣流がさ、色々と言ってたからね。」
そうなんだ・・・・・・としか思わなかった。
この先、ケンスケがどんな事を言っても驚かない気がする。この感情は、諦めに近いのかもしれない。それだけの情報は、持っていた。
「トウジの事は・・・・・・参号機を倒したのはシンジだから、って。だから、悪いのは全てシンジだって。そう言ってたんだ。」
参号機を倒したのは初号機。それは間違い無いんだ。
「でも・・・・・・違うだろ?」
「え?違う?」
どうして?
「最終的に倒したのが初号機なのであって、弐号機も零号機も参戦したんだろ?
綾波も惣流も一緒だったんだろ?一緒にあの場に居たんだろ?戦おうとしたんだろ?」
「・・・・そ・・・れは・・・・・・・」
思わず出そうになった言葉を飲み込む。
「だったら、同罪じゃん。」
・・・・・・・ケンスケ
ありがとう。その言葉で僕は救われる。
「戦う意志があって、その場に居て、結果、倒したのがシンジになっただけじゃないか。
第一、惣流は負けただけだろ?」
「・・・・・・・・」
「悔しまぎれにさ、シンジを悪く言って、自分の手柄だけ自慢して、自分はエースパイロットだって言ってさ。悪いのは全てシンジだなんてさ、酷過ぎるよな。」
「・・・・・・そう、なんだ・・・・」
「うん、そう。
それにさ、ネルフも国連軍も一番頼りにしてたのって、シンジだろ?」
「え?」
「公開された映像や文書、全部見たし、読んだんだ。」
「・・・・・・うん・・・・。」
「マスコミがさ、面白がって取り上げているんじゃなくて、国連の方とかもね。」
きっと、それは膨大な量だったんじゃないか、と思った。
「そしたらさ、惣流の言ってた事って、矛盾だらけでさ。ホント、イヤになる位に矛盾だらけでさ。
コイツってさ、コイツってもしかして・・・・・・」
そう思ったら、怖くなったんだよ。
続いた言葉に戦慄が走った。
“怖い”
確かにそうだ。“怖い”んだ。
あの狂気じみた妄執が怖い。そうか、怖かったんだ。
元々、アスカを“怖い”とは思っていなかったと言えば嘘になる。でも、それは、言葉の暴力と純粋なる力の暴力だった。言葉が痛いとか、叩かれたところが痛いとか。
それが違う意味になったのが、あの日なんだ。小さな子供の様に駄々をこねるアスカを見て、母親の言葉を盲目的に信じる、それだけに取り縋るアスカを見て、違う怖さを感じたんだ。
だから・・・・・・
「シンジは何も言わなかったから。」
訪れた沈黙を打ち破るかのような感じだった。
「え?」
「何も言わなかった。本当に、何も。」
だから、気付いてやれなかった。
後悔するように、懺悔でもするかのように、言葉が続いた。
「こんな風になるんだったら、俺が連れ出してやればよかったかな・・・とか思っちゃってさ。」
「え?」
「俺ね、父親と2人暮らしなんだ。で、その父親ってのが仕事でほとんど家に居ないんだ。」
「・・・・・そう・・・・・」
「だからさ、実質、一人暮らしと変わんないの。」
屈託無く言うケンスケもまた、家族からの愛情に飢えているのかも知れない。そう思った。
「あの時みたく・・・・・・ね。」
何時の事?僕にはパッと思い浮かばなかった。だから、代わりに聞き返した。
「あの時?」
「そ、あの時。」
そう言って、また、あの“遠い目”をした。
「おかしいな~、俺、本当はこの間の件、相談しようと思ってたのに・・・・・」
打って変わって明るく話し出したケンスケに、戸惑った。
「例の件、引き受けるよ。」
「え・・・・・・。」
「その話をしたくて、お願いしたんだ。」
「・・・・・・・あ・・・・・ありがとう。」
「お礼なんていいよ。俺も同じだから。」
え?同じ?
ケンスケは僕の目をまっすぐに見た。
「信じたいんだろ?シンジの事。」
“信じたい”とは微妙に違うけど・・・・・・・何も知らない第三者の目にはそう映るのだろう。だから、うなずいた。
「俺もね、信じたいんだ。あいつはそんなヤツじゃない。」
・・・・・・・ありがとう、ケンスケ。
Turning point Ⅱ
インターフォンの音で我に返った。
「ちょっと、行ってくるね。」
そう言ってカヲル君はこの場を離れた。
綾波は、最後の最後まで綾波だったんだろうな。
無頓着で、無欲で、命令となれば自分の命さえ差し出してしまう、自分の事なんか全く考えない。そんな、そんな僕の知っている“綾波レイ”。2人目の。
「ヒ~ナちゃん。」
カヲル君に呼ばれた。
「相田君、来るよ。」
そう言って差し出されたハンカチに、僕が泣いてしまっていた事を改めて実感してしまった。
・・・・・・・恥ずかしい。
「ごめんね、僕もいっぱいいっぱいだったよ。」
そうは言ってっても、どこか余裕を感じる。いっぱいいっぱいなのは僕の方だ。
「僕は君に感謝してるし、君の見方だから。」
「・・・・・・・カヲル君?」
「それだけは、覚えててね。」
再び鳴ったインターフォンにカヲル君は玄関に向かった。
「考えてみたらさ、ここに着替え、あったンじゃん。」
そう言いながらケンスケが入ってきた。
「じゃ、僕は着替えてお茶の用意してくるね。」
ゆっくりしててね。そう言って去って行くその背中を見ながら、ふと思った。
この計画を立てたのは誰だろう?
ヒナノの立ち位置を固める為、今後を見通しての行動ではないかと。未だに普通の中学生として生活できないヒナノの為に、普通の中学生としての生活を望むヒナノの為に。
“碇ヒナノ”が普通の生活を送れないのは、自分自身の所為だけでない事は最近になって気付いた。それで親を恨むつもりは無いけれど、原因である親が負い目を感じているのも事実だし、その為に色々と考えてくれているし、今回の事もその一環なのかも知れない。
今回の事だって、ただ単に、僕の考えすぎで、本当に、皆が忙しいだけなのかもしれないし。
「俺ね、碇さん。」
何時に無くまじめな顔でケンスケが声をかけてきた。その目は、ここではないどこか遠くを見ているようだった。
「俺さ、エヴァに乗りたかったんだ。」
そう言って話し出したケンスケの言葉に泣きたくなった。自分自身の不甲斐無さと、子供っぽさに。
僕だけが悩んでた訳でも、僕だけが迷ってた訳でも、僕だけが悔やんでた訳でも無い。それを知ることが出来た。
そして、カヲル君とケンスケの話を聞いて、“碇シンジが帰って来なかった”って事に傷付いている人がいるって事を改めて、感じた。
今まで、本当に特殊な所に居たから。みんながみんな、“碇ヒナノが誰なのか”を知っている人とばかり接してきたから。ヒナノの事を一番に考えてくれる人とばかり接してきたから。だから、気付かなかった。違うな。考える事を拒否してたし、考えなくても済む状態にしてくれていたんだ。感謝しなければいけない。そう思った。
「ヒナちゃん、疲れた?」
着替え終わったカヲル君が用意してくれたお茶を3人で飲みながら、彼らの会話を聞くともなしに聞いていた。
「あ・・・・・ごめんなさい。考え事、してた。」
のぞきこむように聞いてきたカヲル君に、返事をした。
「相田君に何か言われた?」
え・・・・・・と・・・・。
「何言っちゃってんの?渚。少なくとも、俺は碇さんを泣かせていないぞ。」
・・・・って、バレてた?
頬が赤くなるのが自分でも解った。
「久々の再会だったからね。感動したんだよ。・・・・・少なくとも僕はそうだから。」
シレっと言わないで欲しい。顔が上げられないじゃないかっっっ。
「あ~ぁ、ここもガチかよ・・・・・」
・・・・・って?
「トウジは委員長とくっついちゃうし、シンジだって向こうで綾波と上手くやってるんじゃないの?」
「・・・・・・・だろうね。」
って・・・・・ええええぇえぇ!!!!!
「シンジはさ、バレて無いって思ってたみたいだけどさ、バレバレだっつーの。」
・・・・・・・うそ。
「レイちゃんもだよね。」
「そう、綾波も・・・な。」
・・・・・マジ?
「なのに、本人同士は気付いてないって、どうよ?」
「僕にそう言われても、困るんだけど。」
・・・・・・・・・・・。
「どうした?碇さん?」
目ざといケンスケが僕に話を振ってきた。
ヤバい、動揺が収まらない。カヲル君に助けを求めようかとも思ったけど、これ以上、誤解をされたくは無い。
「え・・・っと・・・・あの話は作り話じゃなかったんですか?」
「そうでもあるし、違うとも言える。」
ズレてもいないメガネを押し上げつつ、話すケンスケのメガネが一瞬光った様な気がしたのは、きっと、気のせいだろう。うん。
「それって・・・・・・・。」
「事実を元に、脚色したみたいな感じかなぁ?どうよ、渚。」
どうしてココでカヲル君に振る?
「ん・・・・・そんな感じじゃない?」
どうしてそう言えるの?
と思ってから、思いついた。
きっと、カヲル君は綾波を知っている。しかも、詳しく。紅い海でなんだろうか。
「だよな~。」
・・・・・・・・サイデスカ・・・・・・
「ネルフサイドとしても、こっちが“命令で殺した”とは思われたくはないでしょ?」
「だよな~。」
「実際に、葛城さんは“逃げろ”と指示はしてるしね。」
「ま、そうだわな。」
あの時、綾波が自爆したあの時、僕は出撃させてもらえなかった。
今考えると、初号機を“碇ユイ”を守る為の行為だったのだ、と理解は出来る。理解は出来るが納得はしていない。
「レイちゃんの独断専行として処理されても仕方ないでしょ。」
「・・・・・まぁ、な・・・・・・・。」
なんとも言い難い空気に、沈黙が流れた。
“仕方が無い”って、便利な言葉だ。本当に。
沈黙を破って、再び鳴るインターフォンに、3人とも肩の力が抜けたのが解る。そして、カヲル君が席をはずした。
「渚さ、名前でさ、“カヲル”って名前でさ、誰も呼ばせなかったんだ。」
え?
「カヲルって呼ばれるのを拒否してた。
何度か惣流が呼んだんだけど、その度に拒否してた。」
「・・・・・・・。」
「碇さんだけなんだよ。」
僕・・・・・・だけ?
「ヒナだけ?・・・・・・どうして?」
思わず、“僕”と言いそうになった。
マズイ、ヒナノモードに戻さないと・・・・・
「知らない。聞いてないし。」
「・・・・・・・そう。」
「俺が聞いても教えてくれないだろうし。」
「・・・・・・そうかな?」
「渚にとって碇さんは“特別”なんじゃないかな。」
そう言ったケンスケの言葉は戻ってきたカヲル君存在と共に僕の心に残った。
2010.12.27