m-10

 

家に帰りたかった。

 

ただ、ひたすらに、家に帰りたいと思った。

 

家に帰りたい。本当に、それだけだった。

 

だって・・・・・・

 

ヒナの居場所はここじゃない。

 

ヒナの居場所は、お父さんとお母さんが居る、あの家。

 

だから、おうちに帰りたい。

 

おうちに帰らせて。

 

お願い。おうちに帰らせて。

 

やっと、手に入れた場所なの。

 

ずっと、欲しかった場所なの。

 

ヒナの居場所はあそこなの。

 

ねぇ・・・・どうして?

 

どうして帰らせてくれないの?

 

ここには居たくないの。

 

お願い。お願いだから・・・・・・

 

ヒナ、いい子にする。いい子にするから。

 

ご飯もちゃんと食べるし、お薬だって飲むよ。

 

お父さんの言うことだって、お母さんの言うことだってちゃんと聞く。

 

だから、お願い。

 

イヤだ。放して!

 

ヒナはおうちに帰りたいの。

 

おうちに帰らせて。

 

お願い、放して。その手を放してください。

 

ヒナはおうちに帰りたいんです。

 

お願いです。帰らせてください。

 

お願いです。

 

 

 

 

 

 


I wish

 

 

 

 

 


「ヒナノ・・・・・・・・」

 お母さんの声で目が覚めた。熱る体とぼんやりとした視界。

「お母さん・・・・」

 小さい声しか出なかったけど、気づいたお母さんが笑顔になった。

「よかった・・・・」

 そう言われて、あぁ、また心配をかけちゃったんだな・・・・・と思った。

「お母さん。」

 差し出そうとした手に痛みが走った。それでも差し出そうとした手を、お母さんがやんわりと握ってくれた。

「無理しないで。」

 そう言われて気付いた、右手に巻かれた包帯と、体に巻かれてるであろう包帯。

 ・・・・・・・・・・・ヒナ、何したっけ?

「病院で『帰る。』って暴れたの、覚えていない?」

 ・・・・・・・え?・・・と・・・・・

「覚えていない・・・・・・の?」

 え・・・・・と・・・・・・・

 暴れたのかどうかは解らないけど、ただ、ひたすら、“家に帰りたい”って思ってた記憶は、ある。

 このままじゃ、アスカちゃんに居場所を取られてしまいそうな気がしたんだ。

「・・・・・・帰りたかったの。」

 こぼれ出た言葉に、お母さんは笑顔で答えた。

「大丈夫。すぐに帰れるから。」

 と。

 でも、それが“優しい嘘”だと理解した。

 熱る体は、熱がある証拠。こんな状態で、すぐに家に帰れる訳が無い。右手の痛みと体に巻かれた包帯が物語っていた。

 お母さんが見える様にと寝返りをうとうとしたら、体に痛みが走った。

「大丈夫?」

 そう聞いてきたお母さんに、笑顔を向ける事の出来ない自分に自己嫌悪。

「筋肉痛と、打撲だから。」

 って・・・・・・・・。

 

 ・・・・・・・・・・・。

 

 ・・・・・・・・恥ずかしくて熱が上がりそうだ・・・・・。

「お母さん。ごめんなさい。」

「どうして謝るの?」

「だって・・・・」

 迷惑をかけたから。また、心配させてしまったから。

「アスカちゃんを連れて来たのは、ゲンドウさんと私よ?ヒナノ、あなたの所為じゃないわ。」

「でも・・・・・・・・」

 続く言葉を笑顔で遮られた。「あなたの所為じゃない。」と。

 訪れた沈黙は、イヤなものじゃなく暖かなものだったけど、お母さんの中にある“わだかまり”に気づいてしまった。

 

「アスカちゃんの事なんだけど・・・・」

 言いにくそうにお母さんは話し出した。

「今はリッちゃんの所に居るわ。」

 え?

「様子を見て、状態が落ち着いたら宿舎に行く予定なの。」

 ちょっと・・・・待って・・・・・

「もうすぐ長期休みに入るから、休みに入ったらドイツへ帰らせる予定なの。進路の問題もあるし。」

 それはそう。だって、3年だし。このまま日本で高校に進むのか、ドイツに戻るのか。

 でも・・・・・戻らないだろうな。そう思った。

「その後は、未定。」

 お母さんは言葉を切ると、ヒナの目を見た。

「ヒナノ、あなたはどうしたい?」

 いきなり聞かれても困る。元々、アスカちゃんと暮らすつもりだったんだし。

 ぼんやりとした頭で、ぼんやりと考える。

 結論なんてでやしない。

 でも・・・・・・と思う。

 ぼんやりとした思考の中でひとつ気になる事がある。

 

どうして、アスカの母親はここにいない!?

 

 と。

 確か、あの時、アスカの母親の復活も願ったはずなんだけど・・・・・・

 ぼんやりとした思考の中で漂っていたら、お母さんに「ヒナノ」と呼ばれた。

「時間はあるわ。ゆっくり考えて。」

 そう言ったお母さんの笑顔が哀しかった。

「もう、寝なさい。」

 お母さんの言葉。

「今は、体を休める事が重要だと思うの。」

 優しく諭されて、目を閉じた。
 

 

 

 でも・・・・・・

 目を閉じても眠れなかった。

 頭の中に色んな事がグルグルと回っていた。

 思考がある一点にたどり着く。

 

どうしてアスカの母親は還ってこなかったんだろう?

 

 おかしいな、ちゃんと願えてたはずなのに。

 力が、願い方が足りなかったのかな?

 そしたら、それは、僕の所為なのかな。

 だとしたら、その責任はヒナノが取らなきゃいけないのかな。

 本当は、アスカとは関わりあいたくは無い。でも、お母さんは“キョウコさんの娘である”アスカちゃんを手放せずに居る。アスカちゃんではなく、キョウコさんを信じたい気持ちが残っているんだと思う。同じ母親として。

 それは解っている。でも・・・・・・・・

 

 彼女のした事を、赤い海から還ってきてから、彼女のした事を、僕は赦せるのだろうか?
 

 世界を滅ぼしてしまった僕だけど・・・・・

 

 

 

 

「この世界は、君の・・・・君だけの所為じゃない。」

 

 ふと忘れていた言葉を思い出した。赤い海の世界で、誰かに言われた言葉。

 

「君は“きっかけ”に過ぎないんだ。こうなる様に“仕向けられた”んだ。」

 

 誰に言われたんだっけ?

 

「君は“仕組まれた子供”。僕もだけどね。」

 

 そう言って微笑った“彼”。

 

 僕は彼を知っている。それだけは、解った。

 

 

 

 そして、訪れた眠りの波にのまれていった。