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  あの後、加持さんは家庭教師という名目の、ボディガードであり、リハビリのトレーナーであり、話し相手となった。真実を知りたかった彼からしたら、儀式のキーマンとなり、赤い海での記憶も持ち合わせる碇ヒナノの存在は、興味の対象となる。

 

 そう、彼は、僕の存在を知っている。ヒナノが誰であるかを知っているのだ。

 

 その上での選択に、例えそれが"興味”から来たものであったとしても、感謝している。

   そして、ついに何とか同居だけは避けようと手を尽くしてくれたお父さんとお母さんが僕に頭を下げた。
「すまない。」
 と。

 僕が仕掛けたイタズラの結果、だった。
 

 ミサトさんとアスカは自ら蒔いた種を刈り取る事が出来なかったのだ。

 その上、週刊誌が挙って面白おかしく書きたてた。彼女たちの言っていた事とは違う、真実を。

 

 ヒカリちゃんは、それでもアスカを心配していたけれど、アスカはその手を振り払った。

 落ち込むヒカリちゃんと、アスカを引き取っていた人が倒れてしまったのを聞いて、僕は落ち込んだ。

 

 人に迷惑を掛けなければ生活する事すら儘ならないのに、さらに、人に迷惑を掛けてしまった。その上、こんなヒナノの事を『友達よ。』と言ってくれたヒカリちゃんまで泣かせてしまった。

 落ち込んだ僕は体調を崩した。

 食事が取れなくなってきた所で、どこからか風邪を貰ってきてしまい、入院までする事になってしまった。

 

人を呪わば穴二つ

 

 それを体現してしまった訳で・・・・

 

 何だか、ダメダメ状態な僕は、加持さんと計画を練った。

 どうしたら自分に火の粉が降りかからないか、と。

 

 でも、いい方法が見つからないまま、ついにその日がやって来てしまった。

 

 

 

 

 

 

Hyperpnea

 

 

 

 

 

 

 

  部屋のドアが開くのと同時に

「あら、いい部屋じゃない。」

 と声がした。

 その時、音楽を聴きながらぼ~っと考え事をしてたから、咄嗟の判断が遅れた。

「誰?」

「アタシはアスカ・惣流・ラングレー。天下のセカンドチルドレンよ。知らないの?」

 小バカにしたように言い放ったアスカは、クローゼットを開け、ユニットバスの扉を開ける。アスカの後ろに引越し業者さんに指示を出す管理人さんが見える。荷物が運ばれているのは別の部屋だ。でも、それでも・・・・・

 

・・・・・・・まるで、あの時みたいだ。

 

 そう思ったら、息をしているのに、苦しくなってくる。体も硬直してくるのが自分でも解る。

 

出て行って。

 

 声にならなかった。嫌だ。ここは僕の部屋だ。お父さんとお母さんが用意してくれた、ヒナの部屋。あの時、実にあっさりと僕の部屋をアスカが奪い取るのを許可したミサトさんはいないんだ。そう思いながらも、息苦しさと、次々に甦る嫌な思い出にポロポロと涙が出た。

「ヒナ!」

 加持さんの声がして、姿が視界に入った。

 

助けて・・・・・・・

 

 伸ばそうとした手も、声も・・・・届かない。
 

 

 飛んでしまいそうな意識の中で、加持さんが「過呼吸か?」と言ったのだけ聞こえた。

 

 

 

 

 

 目を開けたら、リビングに居た。

 

 え・・・・・と・・・・・。

 上手く働かない頭で考える。

 どうして僕はソファで寝ているんだ?

 見慣れつつある天井を見ながら考えた。で・・・・・思い出した。

 ・・・・・・めんどくさ・・・・・

 そう思いつつ、ヒナノ専用のリクライニングソファの肘掛についたトレイに手を伸ばした。

 リモコンを取ると、背もたれの角度を調節する。それに気付いた加持さんがこっちに来た。手にはタバコと灰皿を持ってたから、タバコ、吸ってたんだな。ヒナの前では吸わないけど。

「大丈夫か?」

 のぞきこむように聞いてきた加持さん。返事の変わりに、目を伏せた。
「・・・・・・そうだよな。」

 加持さんは肩をすくめて「すまない。」と言った。

 加持さんの所為じゃないのに。そう思って首を振った。

「・・・・・少し休めば大丈夫だと思う。」

 この間、体調を崩してしまってから、体調が戻らずに居た。

 あの数ヶ月の努力はいったいなんだったんだ!!!と叫びたいくらいに僕は何も出来なくなってしまっている。ベッドで寝ている間でも動かし続けていたから、手は大丈夫。でも、支えてもらうか物につかまらないと立っていられない。その上、自分の頭が重く感じるって?

 何か、もう、ダメダメで情け無くなってくる。

 こんな状態でアスカと戦うなんてそんな無謀な事は出来ないよ。だから、僕は、誰かの影に隠れる事にした。『虎の威を借りた・・・』でかまわない。そんな気力もないし。

 それに・・・・・・・と思う。

 トウジの足を元通りになったのなら、僕はこのまま歩けなくてもいい・・・・・そう思うんだ。

 マイナスな思考なのは解っている。それじゃいけないのも解っている。周りの人が協力してくれているのも解っている。

 でも・・・・・・・。

 これは、僕が犯した罪だから。僕が償わなければいけないんだ。

 そんな想いが頭から離れなかった。

 

 

 

「加持さん、あの部屋、何も無いんだけど。」

 加持さんとお茶を飲んでいたら、アスカがやって来た。まるでさっきの事なんて無かったかのように、媚、甘える。・・・・・キモチワルイ。

「口頭で、碇指令、ユイ指令補佐、赤木技術部長から1回ずつ、正式な文書で1回。昨日、赤木と俺からメールで1回ずつの計6回程確認された事、忘れたのか?」

 かなりきつい口調で加持さんは言うけど、そんな事でめげる様なアスカではなかった。

「え~、何を?」

 言い方や仕草までミサトさんにそっくりだ。

「君はここに"碇夫妻の好意”で住む事になった。」

 確認するかのように加持さんはアスカを見るけど、都合の悪いアスカはそっぽを向く。

「碇夫妻は仕事で忙しいから、家具やその他諸々を揃える事が出来ない。申し訳ないが、自分でそろえて欲しいと言われている。違うか?」

 加持さんは言うけど、アスカは返事をしないだけじゃなく、視線すら合わせない。

「加持さん?」 

 ワザとゆったりとした口調で言う。アスカの嫌いそうなタイプを演じる為に。

 (でも、舌っ足らずで、日ごろからポヤポヤと話す言われているから、関係ないのかも。)

「ヒナ。君は関係ないんだよ。」

 打って変わった優しい態度と言葉。アスカの手が震えていた。きっと、怒っているんだろう。

「うん。でも、もう3時近いし・・・・・。このままじゃ、床に寝る事になっちゃうよ?」

 実は、引越しは3時を過ぎてからの指定だった。アスカが早く来た為に、こっちの準備が整っていなかったんだ。だから、敢えて、"3時”と言う時間を使わせてもらった。厭味として。

 もうそろそろ、お父さんとお母さんが帰って来る。

「そうだな。でも、自業自得だろ?」

 加持さんは実にあっさりと切って棄てる。

「でも、風邪引かない?ヒナ、心配なんだけど。」

 小首をかしげる。最初から"善意”を前面に押し出し、時間を守らなかった事、部屋に乱入された事には触れない。これをどう受け止めるかは、本人次第。それによって、こっちの出方も変わるし。

「ヒナじゃあるまいし・・・・。そんなにヤワじゃないよ、アスカは。多少、背中は痛くなるかも知れないがな。」

「本当?」

 小首を傾げる。心底心配そうに。

 アスカ不在で話が進む。

「本当だ。でも、ヒナはするなよ。」

「どうして?」

「俺がリッちゃんに殺される。」

 ・・・・・・・するかも。

「そうだ、アスカ。何なら、俺が寝袋くらい貸してやるぞ。」

 舞い降りた沈黙の後、加持さんが哂って言った。

 アスカがプイっとそっぽを向いて部屋を出て行こうとした所にで、ドアが開いた。

「随分と早かったんだな、惣流君。」

 あの頃のように、威圧的にお父さんが言った。アスカが気圧されているのが解る。

 ってか、加持さん、狙ったでしょ?狙ったよね?そうだよね?

「お帰りなさい。」

 そう言ったヒナに、お父さんは苦笑いをした。

「ただいま。」

 お父さんはアスカを無視するかのようにヒナの所へ来る。

「大丈夫か?」

 心配そうに聞いてくるお父さんの言葉に、今さらながら手が震えだした。

 うなずいてはみたものの、手の振るえが止まるわけも無く・・・・・・

「あぁ・・・惣流君。」

 部屋を出て行こうとするアスカを引き止めるお父さん。

「ユイがお茶の支度をするから、ここに居てくれないか?」

「・・・・・・はい。」

 アスカがソファに座る前に、お父さんがヒナの手を握って「大丈夫だ。」と言う。

 たったそれだけの事で、手の震えは止まり、安心してしまう。

 アスカが座るのを待って、お父さんが話を切り出す。

「改めて、紹介する。娘のヒナノだ。シンジの妹になる。」

 それだけ言うと、お父さんはこっちを見た。

「碇ヒナノです。仲良くしてください。」

 満面の笑みを浮かべて言ったら、アスカの顔が引きつってた。

 加持さんと決めた、計画。

 

人の悪意を信じない。

 

 性善説で通し、厭味を厭味として受け取らない。

 人の悪意を感じつつ生きてきた僕にとって、それは夢のような事であり、ヒナノの精神衛生上にも良い事だと思う。

「娘の主治医から説明があったと思うが、ヒナノは体が丈夫じゃない。君と同様の生活を送る事は、不可能だ。その辺は気をつけてやって欲しい。」

 アスカが小さく「はい。」と言うのが聞こえた。

 それにしても、随分と手回しのいい事で・・・・・びっくりした。

「ヒナノ、彼女は惣流・アスカ・ラングレー君。

 シンジと同様、エヴァのパイロットだ。」

 付け加えられた言葉に苦笑いしそうになるのを堪えた。お父さんも人が悪い。これって、ヒナに『聞け』と言っている様なもんじゃない。

 でも、今は無理そうだな。アスカと関わっている体力も根性も無いし。

「惣流・アスカ・ラングレーです。」

 アスカはそれだけしか言わなかった。どうも、お父さんが苦手らしい。

「加持君は知っているな?」

 お父さんの問いにアスカがうなずいた。

「今は専属で娘のボディガードをしてもらっている。」

 ・・・・・ってお父さん。アスカ硬直してるよ?

「お父さん。」

「なんだ?ヒナノ?」

「加持さんはヒナのボディガードなの?」

 なんとも言いがたい空気が流れた。お父さんは加持さんに『説明しろ』と視線で促す。

「あのなぁ・・・・ヒナノ。」

 呆れたように加持さんが言う。

「君はネルフ総司令のたったひとりの娘なんだ。それがどう言う意味だか解るか?」

 加持さんの問いに首をかしげた。

「君の存在は、誘拐やテロの対象となるんだ。」

「・・・・・・・そう・・・・なの?」

「その上、君の兄であるシンジ君"が”ゼーレの時間もお金もかけた野望を頓挫させたから。そう言った意味でも危険なんだ。」

 加持さんはテーブルを3回、指で叩いた。

 作戦成功の合図。

 アスカは真っ赤になって震えていた。怒っているんだと思う。お父さんが居なければ、怒鳴り散らすなり掴みかかるなりしたんだろうと思う。今まではそうだったから。

「そうだな、ゼーレの残党は未だに居るらしいな。加持君、頼んだぞ。」

 お父さん、それ、駄目押し。

 計画は何も話していなかったのに、お父さんの言葉でさらに重みが加わった。

 碇ヒナノの重要度はチルドレンであるアスカと同様かそれ以上。“君だけが”重要人物ではないんだ。君は特別じゃないだ。それを解ってもらえないと、今後、生活を共にする事は出来ない。

「でも・・・・・・・」

 丁度いいからボケとこ。

「お母さんは“お目付け役”って言ってた。」

「ユイがか?」

「うん。熱を出した後だったから、ずっとそう思ってた。」

 ニコニコと話す僕と、苦笑いするお父さんと加持さん、呆然とするアスカ。

 お茶を持って来たお母さんが「どうしたの?」と聞いてくるまで誰も動くことをしなかった。
 


 

2010.07.19
2010.07.22 一部改定