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翌朝は、少し早起きした。

 

 

 いつもは見送るだけで精一杯(それすら出来ない事の方が多いけど)の父さんと、一緒に朝食をとる。

「今日は早いんだな。」

 久しぶりの一緒の食事に、父さんも嬉しそうだ。僕もだけど。

「今日は病院で検査があるんだ。」

「第3に来るんなら、昼を一緒に食べるか?」

 やっぱり知ってるんだな、と思う感情と同時に嬉しさがこみ上げる。だから、キッチンにいる母さんに声をかける。

「お母さん、今日は何時に終わるの?」

 と。いつもよりも、大きな声で。

「聞いてないけど・・・・・どうして?」

 お皿を片手に母さんが戻ってくる。

「お父さんがね、お昼を食べようって!」

 嬉しそうに言う僕に、母さんの顔も綻ぶ。

「じゃぁ、時間が分かった段階で連絡をいれる・・・・でいいかしら?」

 母さんの問いに、父さんがうなずく。あの頃が嘘の様に、どこにでもあるような家庭がここにもあった。

 

 

 

 

 

 Hibernation

 

 

 

 

 

 

「こんにちわ、リツコさん。」

 病院で診療室に入ったら、リツコさんがいた。

「ヒナノちゃん、こんにちわ。」

 数少ない、僕の真実を知る人。

 と言うより、彼女のお陰で、今の僕がいる。

 リツコさんが僕の変化に気付いて隔離してくれたから、僕が女の子になった事が気付かれなかったのだと思う。その後、早々に第2の病院に“女の子として”転院させてくれたのもリツコさんだし。

 感謝しても仕切れない、と思う。

 お陰で、誰にもばれる事無く(知っているのは父さんと母さんとリツコさんだけなんだ)、僕は生活できる。

「ヒナノちゃん、大丈夫?疲れた?」

 リツコさんは優しくなった。

 初号機を爆心地として起きたサードインパクトの影響なのか、爆心地を中心として“心の補完”が行われたみたいだ、と教えてくれたのもリツコさんだった。

 その影響なのかな?とも思うけど、きっと、リツコさんは元々優しい人なのだと思う。あの状況がそれを許さなかったのだろうし、この人もそんな事をする余裕も無かったのだろう、と今なら思う。

「大丈夫です。ずっと座ってましたから。」

 そう言って自分の座っている車椅子を見た。

 僕は、長い距離を歩く事は出来ないから、外出時は車椅子を利用する。今日も母さんが診療室の入り口まで連れてきてくれた。看護士さんに僕を引渡すと、仕事に向かったけど。

「あぁ・・・それね。それが噂の車椅子。」

 実に楽しそうに言うリツコさんに、僕の方も楽しくなる。

「噂って・・・・・・・、何です?」

「それ、指令が選んだのよね?」

「・・・・・・・そうですけど・・・・。」

「ユイさんが愚痴ってたから。」

「・・・・あぁ・・・」

 と理解した。

「父さんってば、特注しようとしたんですよ。」

 だから僕・・・・・と言った所で、慌てて口を手で塞いだ。

「・・・・・・ごめんなさい。」

「大丈夫よ、誰もいないから。」

 シンジ君。と付け足すリツコさん。

「ゴメ・・・じゃなくて、ありがとうございます。」

「どういたしまして。」

 そう言ってくれるリツコさんに、嬉しさを感じる。

「じゃぁ、聞きたい事がいっぱいあるんだけど、いいかしら?」

 リツコさんの言葉をきっかけに、“診療”という名の近況報告が始まる。

 毎日何をしているのかとか、何時に寝て何時に起きるとか、食事の量や回数。母さんから報告はされていると思うのだけど、それでもリツコさんは僕から聞き、カルテに記入する。

 雑談を交えながら、リツコさんの聞きたいと思う情報は聞き出されたんじゃないかと思う。僕が今、何が出来るのか、どこまで出来るのか、とか。

「リハビリは?」

 僕の話を聞いていれば当然と言える質問をリツコさんはしてきた。

「週に2回ほど。関節のストレッチが主ですけどね。」

「リスクは背負えない・・・・・か。」

「そうでしょうね。」

 機能を回復するのではなく、現状を維持する為のリハビリ。そんな印象を否めない。少しでも僕の表情に変化があれば、それ以上はしないし。

 だから、家では頑張ってるんだけどな。

 お箸も使えるようになったし、コップでジュースも飲めるようになったし(前はコップが重くて持ち上がらなかったんだ)、数メートルだけど歩ける距離も増えてきたし。体重だって増えてきたし。

 それじゃ、ダメなのかな・・・・・
 

 

「こっちに住む気、無いかしら?」

 なんとも言い難い沈黙を拭い去るかのようなリツコさんの問いに、意味が解らず首をかしげた。

「意味が解らないって顔してるわね。」

 うん。解りません。

「口から食べる食事と栄養剤だけじゃ、元の体に戻るには時間がかかりすぎるわ。普通の生活が送れるようになるまで。」

 普通の生活?

 今だって充分なんだけど。僕は。

 父さんがいて、母さんがいて、僕がいる。家族3人で暮らすのは普通じゃないの?

「だって、今の状態じゃ、学校にも行けないでしょ?」

 別に行かなくてもかまわない。

 知識なら、赤い海でイヤというほど貰った。

「友達だって出来なし。」

 ト モ ダ チ ?

 綾波やトウジやケンスケの顔が浮かんだ。

 でも僕はもう、碇シンジじゃない。

 第一、そんな余裕、今の僕には無いんだ。

 だから僕は泣いた。

 あの頃、アスカが武器にした“涙”を利用する。

 絶対的な弱者になってしまった僕の、一番の武器。

「未だ、折り合いがつかない?」

 ほらね。

 リツコさんの声も心配そうだ。

「・・・そう・・・・じゃ・・・なく・・って・・・・・」

「大丈夫よ。ミサトもアスカもあなたの存在を知らないし、レイは3人目のままだから。」

「でも・・・・・・・」

 違う。違うんだ。僕は居心地のいい今のままで充分なんだ。と言うよりも、今の“居心地のいい状態”居たい。小さな子供みたいに家の中が世界の全てでかまわない。今は。

 もう少しでいいんだ。せめて、この騒動が収まるまで。使徒やチルドレンの事が頻繁に話題にならなくなるまでは。

 

「1日おきにリハビリと点滴。現身長で体重が30kgを超える事を目標として、徒歩で学校に通えるようになる。」

 再び訪れた嫌な沈黙を切り捨てる様にリツコさんは言った。僕にハンカチを渡しながら、無表情に、医師が患者に接する様に。

「・・・・・・・・」

「高校生活って楽しいらしいわよ。」

「・・・・・・・?」

「レイは高校生なの。赤木レイコとして高校に通っているわ。」

 ・・・・・・・・知らなかった。

 

 

 


 目が覚めたら、母さんがいた。

 どうやら、僕は点滴をしている間に寝てしまったらしい。

 第二からの移動は母さんの運転する車だったし、駐車場からは車椅子だった。それも、母さんが押してくれた。歩いたのは、家の中と、車から車椅子までと、身長と体重を量る為の移動くらいだ(しかも、リツコさんの手を借りてだ!)。

 これ位で疲れてしまうなんて、本当に情けないんだけど。でも、これが、今の僕の現実で限界。

 グジグジと悩む事はしたくない。悩んでも仕方が無い事では悩まない、そう決めたから。前向きに生きるって決めたから。

 

「お母さん。」

 僕の声に、母さんが振り返る。

「起きた?」

「うん。」

 

「今日は早起きしたから、疲れちゃった?」

「ううん、違う。リツコさんといっぱいお話したから疲れたんだと思う。」

「そう、よかったわね。」

 笑顔でそう言う母さんの顔にある疲労の色に気付いた。

 僕の世話と、家事。ネルフで仕事をしているのも知っている。疲れていない訳じゃないんだ。今までは気付かなかった。違う、気付きたくなかったんだ。

 リツコさんの言う様に、第二から第三に引っ越した方がいいのかな?

 でも、踏ん切りがつかないんだ。ごめんね、母さん。我がままで。

「ゲンドウさんが楽しみにしてたわ。ランチの約束、したんでしょ?」

 ・・・・そうだった。

「お母さん、連れてって。」

 僕は母さんに向かって、手を伸ばした。

 

 


2010.06.06