青い鳥を探して 01

 

 鳴り響いた携帯からの警報音に、一瞬だけ、足が震えた。

 一足だけ先に来る知らせ。チルドレンである証。

「頑張れよ!」

 と声が掛かる。

 非公式ではあるが、このクラスの人たちは私たちがチルドレンであることを知っている。

 チルドレンとチルドレン候補生が荷物を持って教室を出る。

 皆、緊張した空気をまとっていた。

 

 ふと、発令所に向かおうとした足が止まる。

 私はチルドレン。でも、乗るエヴァが無い。

「碇さん、急いで!」

 呆然と立ち尽くした私に綾波君が声をかけてきた。

 綾波レイ。

 かつて、“私だった”人。

 あの頃の私同様、無口ではあるが無表情ではない。正確には、笑顔と言う名の仮面をつけた感情の起伏の無い、別の意味で無表情な人。

「ユリ、急いで!」

 今度はシンちゃんが、この世界の碇シンジが私の手を引っ張った。

 半ば引っ張られる様に車に乗り込む。

「使徒、ですね。」

 助手席に座った綾波君が確認するかの様に聞いた。

「・・・・・はい。」

 重々しい声で返事をしたボディガードについてくれている人。そして、私たちを戦いの場に連れて行く人。

「了解、しました。」

 こんな時でも感情が表に出ない。でも、無表情になった綾波君がルームミラーに映った。

 私の隣で緊張を隠せないこの世界の碇君。

 

 でも・・・・・・・

 

 あの世界から、あの赤い世界から一緒に還ったはずの碇君ではない。

 私の知っている、私の憧れた碇君は、今、何処に居るのだろう?

 

 

 


幸せのキヲク


あの頃の僕たちは生きて行くだけで精一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 
幸せな記憶がある。

 心の中がポカポカする、そんな記憶。

 幼い頃に両親と一緒に旅行に行った記憶や、父親から可愛がられた記憶。幼い頃に母親は亡くしてしまったがその分を補うかの様に父親から愛された、兄と一緒に。

 仕事が忙しい父親の関係で、寄宿舎のある学校に通ってみないか?と言われた時は全力で否定した。そんな私たちに父は、託児施設やシッターなど、手を尽くして手元においてくれた。それでも寂しさを隠せずにいた私たちに、手紙、メール、電話で欠かさずに連絡をくれ、記念日にはプレゼント、長期休みには父親と過ごせる様に(例えば出張先に連れて行ってくれるとか)してくれた。

 そんな、私には有り得ない記憶。

 そして一番驚いたのが私の名前。

 私の名前は碇ユリ。

 綾波レイではない。

 そう、私は碇ゲンドウの娘なのだ。

 

どうして?

 

 再び疑問が浮かぶ。

 私は確か碇君と一緒に居たはず。あの紅い海で。赤い世界で。

 どうして私はここに居るのだろう?

 どうして私は“綾波レイ”ではないのだろう?

 そして思い出した、碇君の言葉。

「綾波、君は・・・・・」

 最後まで聞けなかった言葉は何だったのだろう?

 憶えているのはただ、彼のぬくもり、だった。

 私は、今、還ってきている。別人として。そして、別人として生活している。

 あまりの環境の違いに呆然としつつも、不可思議な事に気付く。

 

何故、今になって?

 
 である。

 つい最近になって私は目覚めたのだ。

 赤い海から還って来たら、“今”だったのだ。

 自分自身の記憶と自分で無い人の記憶、正確には、自分自身が別人の中に入り込んでしまっている感覚に呆然とした。

 でも、記憶を共有していると言う事は、私は彼女の中に共存していたのではないか?と言う結論にも結びつく。

 しかし、何故、今、なのだろうか。その理由が解らないのだ。

 あの頃とほとんど変わらない教室の中でそう思った。

 詳しい理由は話してもらえないままに、2ヶ月近く眠り続けたままだったと言う“碇ユリ”のその頃の記憶が無い。正確には、その頃の記憶だけが、無い。

 あの頃の様に自問自答を繰り返した所で答えなんて出ないのも理解できた。

 でも、その“抜け落ちた記憶”を知りたいと思う反面、知ってはいけないのだ、と理解も出来た。

 見渡した教室はあの頃と変わらない。

 先週、初めての使徒が現れた為、大規模な疎開が始まった所為で空席は目立つのも同じだ。

 ただ違うのは、碇ユリである私が存在するのと、綾波レイが男である事。

 目覚めてから10日。

 変わってしまった自分の立場に呆然とし、変わらぬ教室に安心する。

「ユリ、疲れちゃった?」

 そう言って覗き込んできたのは委員長である洞木さん。委員長の職分だけでなく、垣間見える彼女の優しさに、自然と顔が綻んだ。

「それは大丈夫・・・・・だと思う。」

 言い切れないのがキツイ。

 眠ってしまっていた間に落ちてしまった筋力と体力は、少々のリハビリでは回復する訳もなく、ギリギリの所で生活している。

「今日の合同訓練、どうする?休む?」

 そう聞いてきた彼女はチルドレン候補生だ。

 あの頃はなかったこの制度に、最初は驚いた。でも、こうして“仲間”が増える事はいい事なのだ、と思う。

「休まない。でも、見学までしか許可が下りてなくって・・・・。」

「そう。」

 心配そうに、でも少し残念そうに彼女は言った。

「でも・・・・・・・。」

 と言葉を付け足す。いい事、思い付いた。

「お迎えの車で一緒に行こうよ。そしたらゆっくり話せるし。」

 シンちゃんはほっぽっといて、と付け足した言葉にお互いに笑みがこぼれる。

「いいの?」

 と聞いてくるヒカリに「いいの、いいの。気にしな~い。」と返せるのは元々の“碇ユリ”の性格なのだ、と思う。視界の隅にいた綾波君の肩が一瞬だけ揺れた気がした。

「シンちゃ~ん!今日はヒカリと一緒に“帰る”から~!」

 両手を口の脇に当てて、大きな声で言ってみた。なんとなくそんな気分だったし、久しぶりの学校だったし。かつての“私”だったら絶対にしない事。

 クラスメイトのクスクス笑いの中、微妙に眉間にしわのよったシンちゃんが「ユ~リ~。」とやって来た。怒りたいのに怒れないみたいな感じだ。私が動きたくないのは理解できたみたいだけど、中学生にもなって一緒に帰っているのをバラされたくはないのが本音だろう。

「ほら、綾波だって笑ってる。」

 シンちゃんの口から発せられた“綾波”に過剰反応しそうになりつつ、綾波君を確認したら確かに肩が震えてた。

 ・・・・・・あぁ、笑うんだ。綾波君って。

 いつものアルカイックスマイルじゃなくって、本当に笑うんだ。 何故だか、そう思った。

 

 同じクラスにもうひとり居る女子のチルドレン候補生は惣流さんのミニチュア版みたいな子で、お互いあまり相性がよくない。その上、綾波君に気があるらしく、何かにつけて突っかかってくるのだ。

 別に綾波君なんて何とも思っていないのに。

 これは、私と私だった人の共通の見解だ。その上、怖いだとか、訳分かんないだとかの感情のオマケ付だ。

 案の定、綾波君に媚を売るかの様な彼女の態度に嫌気がさした私たちは、彼女を誘う事無く車に乗り込んだ。

  ふたりでネルフへ向かう車の中で、色んな話をした。短い間だったけど、それはそれで楽しい時間だ。そのまま着替えるヒカリについてロッカールームへ向かう。こことは別にチルドレン専用のロッカールームもあるのだけど、私はこっちを利用していた。一人じゃさびしいし。

 でも・・・・・・・・とふと思った。惣流さんが来たら・・・・と。

「ユリ。」

 着替えが終わったヒカリに声をかけられた。

「疲れちゃった?」

 と心配そうに覗き込まれて・・・・・・・

「大丈夫。ちょっとね、考え事してたの。」

 私の現状を理解して心配してくれるヒカリを疑ってはいけない。未だ何も始まってはいないのだし、これで終わってしまう様な関係でもない。

「じゃ、行こうか。」

 そう言って促す。

 これ以上、心配は掛けたくは無いのだ。

「そうね・・・・・まだ時間はあるけど、向こうで話してましょ。」

 そう言って肩を並べて歩き出す。

 そうだ。まだ時間がある。

 

 時間通りに始まった合同訓練は、綾波君の独壇場だった。何をやらせてもそつなくこなす。なんとなくタブリスを思い出させる笑顔が嫌な記憶を思い出させた。

「君は僕と同じだね。」

 同じじゃない。少なくとも、今、は。

 人間でありたいと願った私の望みを叶えてくれたんだもの、碇君が。

 でも、その碇君が居ない。

 この世界の碇シンジは、あくまでもこの世界の碇シンジでしかなく、私同様、大切に育てられた子供として存在する。

 今、どこに居るのだろう?

 そう思いつつ、ぼんやりと訓練を見ていた。

 ナイフまでも使ったマーシャルアーツは、ナイフの刃引きまでしてあるとはいえ危険が伴うのでほとんどしたことが無かった。でも、それをしていると言う事は、使徒が現れた事で訓練が本格化したと思ってもいいのだろう。

 一番う動きがいいのは綾波君だ。シンちゃんも悪くは無いんだけど、性格なのか今ひとつ踏み込めていない感じがする。


 私もそうだけど、チルドレン候補生の候補に挙がった子供は、小さい頃から護身術も兼ねて武道を習った。柔道も空手も合気道も剣道も習った上で私は槍術に落ち着き、シンちゃんは合気道。

「だって、武器がなくても戦えるでしょ?」

 といってたわりに空手じゃない所が『いかにも!』って感じ。

 この世界のシンちゃんも悪くは無いんだけど、でも、それでも、私は碇君に逢いたかった。

 私の知っている碇君に。
 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  平和な時間は続かない。

 前回の記憶同様、サキエルを倒してから3週間後に次の使徒が現れた。

「碇さん、早く!」

 綾波君に急かされ、シンちゃんに手を引かれ乗り込んだ車の中で、今さらながらに不安に苛まれた。

 ただ、碇君が居ない、それだけで。

 たどり着いた本部では待ち構えていた作戦課の人から現状を聞き、今回の出撃はシンちゃんと綾波君だと聞いた。

「じゃ、行ってくる。」

 それだけ言うと、シンちゃんは綾波君と作戦課の人と小走りに行ってしまった。

 私が発令所に着いた時には、全ての準備が整い、チルドレンの搭乗を待つばかりになっていた。久しぶりに来た発令所は私の記憶と同じだった。一番後ろに立ち、モニターを見続ける。

「シンジ君、レイ、いいわね?」

 葛城さんの確認に「はい。」と返事が返ってくる。緊張した眼差し。自分がここに居るのが不思議で仕方ない。

「エヴァンゲリオン発進!」

 その声と共に射出されるエヴァ。リフトオフされる前に始まった綾波君の射撃で戦闘が始まった。

 あの頃とは違うコンビネーションの取れた攻撃。現実で起こっている事なのに、実感がわかない。本当にいっぱいいっぱいで、確かこの使徒は碇君の特攻で倒したはず。それを知っているから尚更だった。

「シンジ君、レイが後ろから回り込むわ、援護して。」

 的確に出される指示。援護するシンちゃんと後ろから回りこんで使徒を押さえ込む綾波君。

 一見、あの頃と同じで、でも、何もかもが違う気がした。

 片方の鞭状の腕は切り落とされたものの、残った腕で抵抗してたシャムシェルの腕は零号機を貫いていた。それでも決して離すことのなかった綾波君にシンちゃんは呆然と立ち尽くしていた。

「シンジ君、急いで!」

 葛城さんの激で我に返ったシンちゃんがシャムシェルのコアをブログナイフで突き刺した。

「パターンブルー、消滅しました。」

 青葉さんの声に、ほう、と息が漏れた。

 違う。何もかもが。

 そう思った瞬間、床に座り込んでしまった。

 でも・・・・・・・

 この世界の綾波レイは、あの頃の私だ。私が死んでも代わりはいる。そう思っていた頃の、使徒を倒す事だけを考えていた頃の私だ。

 背筋に悪寒が走った。

 見ていたくなくて、目を逸らす事しか出来なかった。

 

 この世界のシンちゃんは、碇君じゃない。

 今、私の周りには碇君は居ない。
 ただ、それだけは解った。

 

 

 

 

 2011.09.13