学校が学期末の長期休みに入った所為か、我が家には来客が多い。
加持さんの代理でカヲル君が来て以来、彼は顔パス状態でウチにやって来るし、それに付随してトウジやケンスケも来る。それだけじゃなく、ヒカリちゃんやエリちゃんも来る。そして、問題集を引っ張り出して僕に質問をしてくる。それを繰り返すうちに、僕はどうやらトウジの家庭教師に任命された。皆で同じ高校に行くそうだ。
ヒカリちゃんからしたら、随分と志望校のランクを下げたんだなと思って聞いてみると
「高校に入ったら部活もしたじゃない?でも、家事もしなくちゃいけないしね。そうすると、近くの高校になるのよ。通学時間は貴重よ!」
これは学校と親を納得させる為の言い訳なんだそうだ。
「・・・・・本当は同じ高校に行きたいから。」
そう続いた言葉が本音だそうだ。確かにね、同じ高校に行きたいよね。うん。
で、他の面々はと言うと、ヒカリちゃん同様に市立の高校が第一志望だそうだ。皆、それなりに“家庭の事情”があったりして、遠くの高校には通いたくないみたいだった。詳しくは聞いてないけど。
でも、本当ならひとつ年上な筈のカヲル君がどうしてみんなといるのかが不思議で、それは丁度いい機会だから聞いてみた。
「だって君同様、僕も“知識だけは持っている”状態なんだ。経験はしてないけれどね。」
確かに。知識はあってもそれだけじゃ意味が無い。それを使いこなせないと。
「と言うのは建前で、高校の受験に間に合わなかったんだよ。赤木さんと違って。」
カヲル君は3人目の綾波を『赤木さん』と呼ぶ。赤木レイコとなった綾波が高校に通っていると言う話は聞いていた。楽しそうに高校に通っているとも聞いた。そして何より驚いたのが、3人目の綾波の名前を聞いても嫌悪感を感じないことだった。
3人目の綾波と、カヲル君と、僕。還ってきた日がそんなに違ったのだろうか?記憶が未だに所々曖昧だったから。
「間に合わなかったの?」
いくらでも編入できただろうに。それだけの知識は持ち合わせてるんだから。
「と言うより、テストがどんな物なのか知らなかったんだ。」
・・・・・・・そっちですか。
「学校に行くのは初めてでね、中々楽しませてもらってるよ。」
カヲル君はそう言って笑ってた。
平和な日々だった。
穏やかに時が過ぎていく。こんな日々がいつまでも続けばいいと思っていた。
でも、それと同時に、この平和な日々は“嵐の前の静けさ”である事も頭のどこかで理解していた。
確実に来るであろうもう一波乱。
それが来る事を恐れつつも、僕は目の前にある幸せな生活をおくるのだった。
Disciplinary dismissal
朝食の並んだテーブルの上に置かれた新聞の一面を見て、体が硬直した。
だって、【ネルフ作戦課長 葛城ミサト 解雇】の文字がでかでかとあったから。
ついに、ネルフサイドも彼女を切り捨てる判断を下したのだ。そう思った。
度重なる、注意、説得、訓告、警告、始末書も何のそのと暴走した彼女を止めるすべは、これしか残っていなかったのだ。そう判断した。
詳しい内容は記載されていない。だから。憶測が憶測を呼んでいる状態だった。新聞を読んだ限りでは。詳しくは今日の午後に記者会見をするらしい。新聞にそう書いてあった。
「あぁ・・・・それね・・・・・。」
キッチンからお皿を持ってきた母さんが疲れた様に言う。
「もう、引き返せない所まで行っちゃったのよ。」
その言葉に、背筋に悪寒が走った。
「機密をね、秘匿義務のある事まで流出させようとしたから。」
「・・・・それって・・・・」
「もう、何を言っても聞く耳を持ってくれないのよ。」
「・・・・・・・・・」
「えげつない方法で来られたから、こっちもそれなりの方法を採らざるをえなくてね。」
言葉も無かった。
もう、引き返せないんだ。
それだけは、解った。
「・・・・・アスカ・・・ちゃんは・・・・・・?」
「え?、アスカちゃん?」
疲れた顔に、さらに上書きされた苦渋。
「彼女もね、次に何かをしたら確実ね・・・・・」
さびしそうにお母さんは言う。確実と言うのは、懲戒免職って事?聞きたいけれど、聞き返せなかった。怖くて。
差し伸べられた手を悉く振り払う彼女は、“孤高”と言えば聞こえはいいが、単なる独りよがりの状態になっている。ヒカリちゃんをはじめクラスメイトの手を悉く振り払った彼女は、学校での居場所も無くなり、同様にネルフでの居場所も無い。
実際の戦いを見ていた人は、彼女の暴走が始まった時点で切り捨てていた。自分の愛機を整備してくれた人までも、だ。もしかしたら、戦いあの最中から、確執があったのではないかとさえ思える。
彼女は、感謝をしない。
人の好意を当然として受け止め、お礼を言う事をしない。
逆に、「このアタシに協力できるなんて、感謝しなさいよ。」と言わんばかりだ。
だから・・・・・・なんだろうか?
「お母さん・・・・・・・・・・・。」
「何?」
疲れた顔で笑う母さんが哀しかった。
「ヒナは大丈夫だから。」
そう、大丈夫。
言葉に出して、言い聞かせる。
大丈夫、みんな優しくしてくれてるよ。
みんな、大好きだから、これ以上、そんな顔は見たくない。
「大丈夫だから、話して!話してください。」
懇願に近かった。このままだったら、素通りされるんじゃないかと思った。何より、碇ヒナノが傷付く事を周りの大人は快く思っていない。温室に居るような生活。居心地はいいけれど、抜け出さなければいけないと思ってた。抜け出そうと思ってた。
きっと、それが、今、だ。
「ヒナノ・・・・・・。」
お母さんは言葉に詰まっていた。
未だに体調は完璧じゃない。と言うより、この体は虚弱といっても過言ではない。それでも、リツコさんをはじめ病院の先生や看護士さん、リハビリの理学療法士さんや母さんや父さんや周りの人たちの協力で僕は生きていけるのだ、と理解している。周りにいる人は優しいけれど、でも、その優しさに甘え過ぎてはいけない。その為には現状の把握と、自分の居る場所の確認はしなければいけない。何も知らされずにいるのでは前と変わらないし、何も知らずにいるには多くの事を知りすぎた。
「このままじゃいけない。そうだよね?」
僕の言葉に、たっぷりと時間をとって母さんが返事をした。
「ネルフの機密を持ち出されちゃね。最悪、銃殺刑よ。」
あぁ、やっぱり・・・・と思った。
もう、そこまでいかなければマスコミに相手にされなくなっているんだ。最初に出遅れ、事態の収拾に時間は掛かったけれど、今は完全に情報の漏洩に関しては完璧になったと聞いた。マスコミサイドとの協定も結んだし、国連側が罰則も決めたそうだ。
それによって、彼女たちから情報を引き出す事は不可能に近いし、彼女たちの態度にうんざりしている視聴者もいるらしい。
「それって・・・・・。」
目の前に出された朝食に手を触れる事無く聞いた。食欲なんて、どこかへ吹っ飛んでしまったし。
「ミサトちゃんね、暴露本を出そうとしてたの。」
それって・・・・・・・
「ネルフの機密、満載のね。」
それって、ネルフサイドからマスコミとの接触を絶たれたからなんだろうな。
今までチヤホヤとしてくれていたマスコミとの接触を絶たれ、溜まりに溜まった仕事をする日々。元々、デスクワークが好きな人じゃなかったから相当ストレスが溜まっていたんじゃないかと思う。その上、ネルフの人たちからは良くて普通通り、最悪、白眼視されてるんじゃないかと思うし。彼女の望む“尊敬の眼差し”なんて、ありえないんじゃないかと思う。
「それじゃぁ・・・・・・。」
「まだ、洩れてはいない。最悪の事態にはなってないわ。」
少しだけ、肩の力が抜けた。
「張り付いてた加持君と保安部が気付いて、ストップをかけたわ。そしたらね、なんて言ったと思う?」
そんな事、想像に容易い。
「プライベートに口出すな、ですって。これでも一応、公務員なの。公務員がアルバイトしちゃ不味いでしょ?でね、それを言ったら、辞めますって。だから慌ててね、辞表を出される前に懲戒免職にしたのよ。」
あぁ・・・・そう言う事か。自主退職と懲戒免職じゃ天と地ほどの差があるもんな。
「売り言葉に買い言葉みたいな感じで、止めに入った保安部の人に言ったのよ。だから、それが“正式な”書類として上がってくる前に・・・・って。」
随分と急だったのは、その所為だったんだ、と理解した。
きっと、これから怒涛の様に事態が動くんだろうな。
「汚いやり方だと思う。でもね、でも、どうしても赦せなかった、彼女の事。」
「お母さん?」
「日付が変わった頃にね、国連に伝えたわ。葛城三佐を解雇するって。」
僕からの問いかけにも無反応で、母さんは淡々と話す。母さんは、溜まってしまったモノを吐き出したいんだろう。だったら、聞き役に徹しよう。
「そしたらね、労われたって。ゲンドウさんが言ってた。」
・・・・・・父さん。
「よく我慢しました。遅すぎるくらいですよ、って。もう、何だか力が抜けたわ・・・・・・それを聞いて。」
母さんの力が抜けたのは本当だろう。今まで以上に疲れた顔をし、覇気も無い。少なくとも、僕の前で取り繕っていた部分がごっそりと抜け落ちているし。
「葛城博士には・・・・・あ、葛城三佐のお父さんね。葛城博士とは知り合いで・・・・・お世話になった人だったから、何とかしたかったんだけど・・・・ね。」
葛城博士か・・・・・・・・。彼女は父親の、自分が嫌っていた父親のお陰だって知ったら、どう思うのだろう?とも思った。
「でも・・・・もう、無理。」
うん。そうだね。
「もう、限界。」
もう、いいと思うよ。
「あんなに頑張ってた自慢の息子まで虚仮にされて・・・・・・、みんな怒ってたし、私も怒ってた。」
お母さん・・・・・・。
ありがとう。その言葉で僕は満足だ。
「でもね、彼女にとっては“本当の事”になってしまってたらしいの。」
・・・・・・・・え?
「リっちゃんと加持君が自分たちの話し合いを録音したのを聞かせてくれたんだけどね、もう、言ってる事が無茶苦茶で・・・・・・・」
「それって・・・・・・・。」
「自分の記憶を“自分の都合の言い様に”塗り替えてる。ストレスでそうなったのか、元からそうだったのか・・・・・解らないんだけど。」
それって・・・・・・・
「僕の所為?」
「ヒナノ・・・・・・あなた・・・・・・・。」
「だって・・・・・・・・」
僕が、碇シンジが帰らなかったから。ミサトさんは、自分が自分の手で死地へと向かわせてしまったと思ってたんじゃないかって思ったから。
「ミサトちゃんもアスカちゃんもね、すごく、シンジに拘ってた。貴女には知らせなかったけど、気付いてたわよね?」
母さんの問いにうなずいた。
そう、彼女たちは“碇シンジ”に拘ってた。
「同居人・・・・って言うのもあったのかも知れない。でも、それ以上の“何か”があった。それは本人にしか解らないけれど、貴女の“死”を、“碇シンジの死”を認めたくない、認められないのだけは理解できたわ。」
「それって・・・・・・」
「罪悪感。」
そう・・・・・なんだろうか?本当にそれだけ、なんだろうか?
疑問に思ってしまう自分が嫌だったし、疑問に思ってしまっても“仕方が無い”行動をとっていた彼女たちが嫌だった。
「貴女、言ってたわよね?ミサトちゃんに半ば無理矢理エヴァに乗せられたって。」
あぁ・・・・・そう言えば・・・・・・
「ミサトちゃんは職務でそうした。その行動は正しい。でも善意の第三者が、彼女がシンジを無理矢理エヴァに乗せなければ助かったかも知れないって考えてしまうのもおかしくはないでしょ?」
それはそうだ。彼女は、ミサトさんは職務を全うした。でも他人が、彼女が僕を死地へと誘ったと思ってしまってもおかしくないのだ。確かにあの時のアスカと僕の精神状態はおかしかったのだ。
「彼女、見方が少なかったし。」
あぁ・・・・・・こんな形でしわ寄せが来たのか。彼女がネルフの権力をかさに着て傍若無人に振舞った“ツケ”が。
彼女が見下していた戦自に捕まりかけた時の僕は、誰も目から見てもおかしかったんじゃないかと思う。人は銃を突きつけられたら普通、何らかの反応をする。でも僕はしなかった。出来なかったし、しなかった。このまま引き金を引いて欲しいとすら思った。そんな僕を見ていた人がいたって事だ。
「政府や戦自側がね、ネルフに何か不備が無かったかってあらを探したのよ。少しでも自分たちが優位に立てる様に。で、矛先がミサトちゃんに向いた訳。」
そうか、そう言う事か。
自分でまいた種を自分で刈り取るために、相手の、ネルフの落ち度となる点を探した、と。少しでもネルフサイドに問題点があれば、そこから切り込めばいいと。で、探した結果、行き着いた先が葛城ミサトだったと。
で、ミサトさんは政府や戦自から尋問を受けた、と。きっと、事細かに聞かれたんじゃないかと思う。元々が大雑把な人だし、細かい事は気にしない(出来ないんじゃないかとも思うけど)人だから、細かくねちっこく聞かれたら取り繕えないだろう。そして、アスカと僕の異常。
アスカの方はまだいい。彼女の異常は、『使徒の精神攻撃による自閉』として報告書も提出されている。壊れかけた状態での最後の駄目押しではあったけれど、正式な形での報告があったから。
でも、僕の場合は?碇シンジの場合は?
そういった正式な報告がまったく無い中での、精神異常。例えそれが、『ストレス性のもの』であっても、そのストレスを取り除く立場にいる人間がストレスを与えて良い訳が無い。確かに、“適度な家事”は気分転換にはいいと思う。でも、それは、あくまでも“適度”なのだ。そして、あの頃の状態を誰が“適度”と言うのだろうか?少しでも関係者に聞けばあの状態が“適度”とは程遠いものであったと解釈される。
その結果、葛城ミサトは『能力も無いのにチルドレンを引き取って壊した』と言うレッテルを貼られた。それは確かに間違ってはいない。彼女は家事が全くと言っていい程出来なかったし、しなかった。全てにおいてそうなのか?と言われたら、「YES]とは答えられないけれど。全ての要因が彼女に有る訳では無いけれど、でも、責任者である彼女の管理能力の是非を問われればそうなってしまうのだ。
そして、それを認めてしまえば自分は無能になってしまうと彼女は焦った。自分が有能であると信じている彼女からしたら屈辱だったと思う。
「・・・・だからなのかしら。取材で必要以上に自分の有能さをアピールしたのは・・・・・。」
お母さん、今頃気付かないでよ・・・・・・・・・
「お母さん。本当に有能な人は、言わない。必要無いから。」
思わず口に出た言葉に、「あぁ・・・・そうね。」とお母さんは相槌を打つ。だから、思わず解説をしてしまった。
「あのね、本当に有能な人は自分が有能だなんて言わないものなんだよ。言う必要なんて無いんだから。でもね、本当に有能じゃない人は自分で言わないとね、周りが気付いてくれないんだ。だから、自分で言って周りに納得さ・・せ・・・る・・・ん・・・・・・。」
それって・・・・・・・
「ヒナノ?」
最後まで言えなかった。そして、その事を不安げに問いただすお母さんの顔。だって、途中で思いついてしまったんだ。
これって、そのまんまアスカだ。
そう、アスカだ。アスカだよ。
確かに彼女は才能はあったし、頭も良かった。でも、彼女が思っているほど、天才ではなかった。エヴァに関しては特に。
「アスカが・・・・・・アスカがそうだったんだよ、母さん。」
「アスカちゃんが?」
「そう、ずっと言ってた。自分は天才だって。自分はエースパイロットになる為にここに来たんだって。」
ずっと言ってた。「アタシは天才なのよ!」って。「自分は特別だって。」って。
「・・・・・・・そう。」
母さんは寂しそうに同意した。
「あのね・・・・・」
と少しの沈黙の後、母さんは切り出した。
「サードインパクトのドサクサに紛れてね、正式な形でシンジの葬儀は行わなかったの。とにかく忙しかったし、私たちには貴女がいたから。それがいけなかったのかも知れない。」
え?
「しなかったの。レイちゃんのも。」
「・・・・・そうなんだ。」
知らなかった。と言うより、興味もなかったし、考えた事も無かった。
「そうなの。密葬・・・と言うか家族葬?そんな感じにしたの。リっちゃんと3人で。」
それは、初耳だった。
「2人とも本当は生きてるんだし、ま、いいかぁ・・・・って感じだったのよ。」
ま、お母さんとお父さんからしたら、そうだろうな。
「それもいけなかったのかしら・・・・・・」
そう言って、さびしそうに笑った。
「彼女たちの為に、残された人の為に、きっかけを作る為にした方が良かったのかもしれないわね。」
・・・・・・・言葉にならなかった。
「でもね、でも・・・・・・。」
と母さんは言葉を続ける。
「ネルフの機密を持ち出されちゃね。それとこれとは別よね。」
あぁ・・・・・・確かに。彼女は一般職員とは違う。軍人上がりで、ネルフの軍部の統括で、機密を多く知っている分、その辺の事は厳しく管理されているはずだ。そういった書類にも触れているだろうし、署名捺印もしているんじゃないだろうか。それを、『知らなかった』で済ませられる訳が無い。それなのにこの事態って・・・・・・・。
「自分の仕出かした不始末を、人の所為にして良い訳は無いわよね。」
「・・・・・・・うん。」
それは確かにそうだから・・・・・・・。
「さ、朝ごはん食べちゃいましょ。」
気を取り直してお母さんは言ったものの、テーブルの上にはすっかり冷めてしまった朝食。
「暖めなおす?」
そう聞かれたけど。
「いい。食欲、無いから。」
「そうよね。」
お母さんもそうだったらしい。ふたりして冷めてしまった朝食を前に顔を見合わせて苦笑った。
色々あるけど、これからも問題は起こるんだろうけど、でも、大丈夫な気がした。
なんとなく、なんとなくだけど、そんな気がした。
僕は、もう、大丈夫だ。
2011.06.02