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  携帯が鳴った。この携帯は、よほどが事が無い限りは鳴らない。

 何か問題がおきたのだろうか?

 確認をすると、ユイからだった。

「失礼。」

 言葉少なに席を外し、着信ボタンを押す。電話の向こうのユイは、取り乱し、泣いてさえいる様だった。どうやら、ヒナノが熱を出して、病院へ行ったらしい。たったこれだけの事を聞くのに要した時間は5分。かなり動揺している。

「分かった。私も病院へ向かう。」

 そう言って電話を切った。

 会議自体は終わっている。今は『接待』の名を借りた顔繋ぎ状態だ。抜けても問題は無いだろう。

 席に戻り、同行している冬月に現状を説明すると

「帰っていいぞ。」

 と言われた。

「元からそのつもりです。冬月先生。」

 席に座る事無く、この会議の主催者である国連役員の元へ向かう。

 現状を説明し、退出をこうと、気持ちよく送り出してくれた。きっと、ヒナノの事を知っているのだろう。

 『そんな事で?』と不快感をあらわにした面々の顔と名前は忘れた。彼らとの今後の付き合いは無いだろう。

 不謹慎だか私情は絡ませもらう予定だ。

 何より、『熱を出す』事が娘のヒナノにとっては生命維持の問題に発展する可能性が有るのだから。

 ネルフとの提携を求めるのなら、それ位の下調べはしておけ。今の私は、親バカで通っているのだぞ。ま、一部でだがな。

 

 車に乗り込むと、何も言う前に走り出した。ユイかヒナノに付いている者から報告が来ているのであろう。

 

 此処からなら、小一時間で病院へ着くはずだ。

 

 

 病院へ着くと、ロビーには案内人であろう医師が待っていた。彼から病状の説明を聞く。

 解熱剤により熱は下がったが、意識は戻っていない。

 ヒナノが心配なのは当然だか、ユイの方も心配だ。かなり動揺していた様だから。きっと、管理しきれなかった自分自身を責めているのであろう。

 案内された病室で、ヒナノは機械に囲まれて眠っていた。

 悪化するのが、思いの外早かったらしい。

 説明は受けていた。

 抵抗力も免疫力も体力も、同世代の子供に比べ、かなり少ない。抵抗力に関しては、ゼロでは無いにしろ、期待はしないで欲しいと言われていた。理解はしていたつもりではいたが、こういった形で突き付けられるとは思ってもいなかった

 

 目の前の娘は、自発呼吸すらままならない。

 

 昼食は普通に食べ、「疲れたから寝る。」と自分からベッドに入ったそうだ。

 起きて来ない事に不信を感じ、様子を見に行った時には熱があった。赤木君から渡されていた解熱剤を使ったが熱は下がらなかった。

 ポツポツと状況を話し始めたユイに相槌をうつ。

「病院には行きたくない。」

 とヒナノは泣いたと言う。

「何故?」

 口から言葉がこぼれていた。

「明日、買い物に行く約束をしたでしょう?」

 あぁ、したな。自分自身の持ち物をほとんど持っていないヒナノに、鞄と財布を買う約束をした。

「欲しいのがあるんだ。」

 そう言ったヒナノに、約束をした。「好きなのを買ってやる。」と。

 物欲の無いヒナノにしては珍しい事だったから。

「ふたつ有るんだけど、いいかな?」

「いくつでも買ってやるぞ。」

 私の言葉に苦笑いで返された。

 ヒナノから物をねだられたのは、これで二回目だ。前回はパソコン。行動に制限のあるヒナノからしたら、外との繋がりを求めていたのかも知れない。

 そして、今回の鞄。

 これはヒナノなりの『外へ行く準備』ではないか、と思っていた。

 だからこそ、余計に心が痛んだ。

「服はいいのか?」

 そう聞いた私に、

「お母さんがいっぱい買ってくれるから。」

 笑って答えたヒナノはここで機械に囲まれて眠っている。

 私の歪んだ願いのしわ寄せが、自分ではなく、シンジに・・・娘になったヒナノにきているような気がしてならない。

 

「どうして、ヒナノだけ・・・・・・」

 ユイが私の服を握りしめて言う。

「レイちゃんもアスカちゃんも、渚君も・・・・」

 それ以上は言葉にならなかった。きっと、続く言葉は、鈴原君だろうか?彼は無くした足が元通りになったのだから。

 震える彼女を抱きしめた。

「大丈夫だ。」

 この言葉は、彼女にではなく、自分自身言い聞かせつかのような錯覚に陥った。

 

 

2010.08.16

 

 

 

 

 

 Desire to distort

 

 

 

 

 

 

 例のあれは、ヒナノと一緒に自宅のテレビで見た。噂では聞いていたが、ここまで酷いとは思ってもいなかった。予想のはるか上をひた走る感じだった。

  多少の自炊経験しか無い私でも、ここまでは酷くないだろう。

 これで、よく“得意料理は和食”だとか、“毎日、弁当を作っていた”と言えたもんだと感心してしまう。

「ヒナノ、これが本当なのか?」

 思わず確認してしまった私に、ヒナノは表情ひとつ変えずに「そう。」と言った。

 得意料理は和食な葛城君は、基本中の基本である“出汁“が満足にとれない。

 出汁の素も用意されているのだが、それに見向きもせずに、鍋に水と昆布と削り節を入れ、蓋をして火にかけた。

「昆布は水からだけど、蓋はしちゃいけないんだ。」

 隣でヒナノからの解説が入る。私でも、削り節は沸騰してからなのは知っている。確か、小学校の家庭科で教わっているはずだ。

 一方、惣流君は、肉が触れない様だった。それでどうやって料理を作る?

「ハンバーグの玉ねぎは、炒めて粗熱をとらないと。」

 挽き肉と生の玉ねぎをヘラで混ぜるのを見て、彼女の料理の腕前が解る。“つなぎ”となるものは全く入っていない。あれで、形が作れるのかは、私には解らなかった。

 葛城君が米を計量する事無く、袋から直接炊飯器に入れた事は理解出来なくも無い。世の中には、無洗米と言う便利な代物があるのだから。だか、米を洗剤で洗う惣流君を見て、絶望を感じた。

「お前、よく生きてたな……」

 口からこぼれてしまった言葉に、ヒナノが反応した。

「だから、僕が作っていたんだよ。」

 能面の様に無表情になったヒナノが、ボソッと呟く様に言った。 その様子が余りにも不自然で、

「散歩にでも、行くか?」

 と言ってしまった。私には、この場を取り繕う術が見つけられなかったのだ。 ただ、何故だか、このままテレビを見続けてはいけないんだと思ってしまったのだ。

 

 

 今思うと、あれがいけなかったのかも知れない。

 あの時点でヒナノは決して万全ではなかったのだから。

 

 

「ん・・・・・・行く。」

 柔らかい、いつものヒナノの表情で返ってきた返事に、胸を撫で下ろす。

「でも、いいの?」

 心配そうに聞いてきたヒナノに「ユイには内緒だぞ。」と付け加えた。

「うん。」

 綻んだ表情に安心した私は、テレビを消し、ヒナノを 抱き上げ、車椅子に座らせた。長距離の歩行はまだ、無理であろうとの判断だ。

「外が寒いといけないから、何か持っていくか。」

 季節がなくなったとはいえ、夜ともなればそれなりに冷える。風邪を引かせてはいけないとの判断だ。

「部屋にある。」

 そう言ったヒナノの言葉に、ヒナノの自室で準備をする。こんな事は初めてで、私自身が浮かれている事に気づいた。

 

2010.08.18

 

 

「キレイな月だね。」

  とヒナノは空を見上げた。きっと、夜間の外出はヒナノとしては初めてだろう。

「あぁ、そうだな。」

  空には、月と、満天とは言えないが星も出ていた。

「ねぇ、お父さん。」

  ヒナノは振り返って、私を見た。

「ヒナは今、幸せだから。」

 そう言ったヒナノの笑顔に安心する私がいた。

「……そうか。」

「お父さんとお母さんと暮らせて、幸せだから。」

 こんな私とで……いいのか?

 私はお前に、私自身の“業”を背負わせているんだぞ?

 そう思うとたまらない気持ちになる。きっと、ユイも同様なのだろう。

「家族と暮らすの・・・・・夢だったから。」

 その言葉に、胸が痛んだ。

 あの日、ユイを失ったあの日に、私はお前を捨てた。自分の愚かな計画にお前を巻き込みたくはない、と上辺の模範解答を盾に、お前を切り捨てた。

 求める幸せは、まだ手の中に残っていた事をこうなって初めて気付く位の駄目な父親なんだぞ。

「あのね・・・・・・・」

 ヒナノは空を見上げた。その目には何が映っているのかという位に遠い目をしていた。

「ヒナがヒナでなかったら、きっと、変われなかったし、変わらなかったと思うんだ。」

 そうかもしれないな。シンジのままだったら、葛城君も惣流君もお前を手放さなかっただろう。それは、今日、改めて確認できた。

「だから・・・・きっと、これで良かったんだ。」

 自分に言い聞かせるでもなく、言い切ったヒナノを“愛しい”と感じた。

 ユイというフィルターを通してではなく、ユイが産んだ子供だからというのではなく、自分自身の子供として、愛しいと感じた。

 そうか、これが“愛しい”という感情・・・・・・

 ちょっと、待て?この感情は・・・・・・・

「お父さん?」

 黙り込んだ私に、不安そうなヒナノの視線。

 あぁ・・・・そうだ。思っているだけでは、考えているだけでは、駄目なんだ。言葉に出して、初めて相手に伝わるんだ。そんな簡単なことすら私は忘れていた。いや、知ろうとしなかった。

「家族で暮らすのはいいな。お父さんもそう思うぞ。」

 私の言葉ひとつで綻ぶヒナノを見ていると、言葉というものの大切さを改めて実感した。

 あぁ・・・・・そうか・・・・。そうなんだ・・・・

 シンジを愛しいと思う感情は元々持っていたんだ。ただ、ユイを失ったショックが大き過ぎて、その感情を隅に追いやり、蓋をして、見ない事にしていた。『ユイを取り戻す』為だけを考える事に固執して、全ての事を放棄したのは私自身。“自分は人に好かれるタイプじゃない”と、努力を放棄したのは私自身。“ユイだけが私を理解してくれる”と思い込み、それに固執したのも私自身。

 なんだ、自業自得じゃないか。

 ならば、私に出来る事をヒナノの為にしよう。

「ユイから聞いているかもしれないが、シンジの遺産はヒナノの元へ行く様に手配した。」

「え?」

「私たちが貰っていいものでは無いしな。」

「・・・・・・・お父さん?」

 不思議そうに見上げるヒナノに現状を説明する。

 日本政府と国連から“使徒殲滅に対する報奨金”が出ている事。それは、実績を加味しているから金額が一番多い事。

 ネルフからの報奨金は一括ではなく、月々ここで生活する分には十分な金額を長期に渡り支払われる事。

 そして、それは、惣流君も赤木レイコとなった綾波レイも貰っている事。金額は少ないが、鈴原君にも出ている事。

「・・・・・・・・知らなかった・・・・」

 呆然とするヒナノに、金額は伏せておいた。政府と国連の報奨金で、十分第三にマンションのひとつも買える金額なのだから。

「ヒナノの口座に入金されている。」

「そう・・・・・・・なの?」

「そうだ。財布を買ってやるから、カードをユイから受け取るといい。」

 他に、ネルフ関係者としての身分証明書、マンションのカードキイ、中学校の学生証もあるぞ、と付け加える。

「・・・・・知らなかったよ・・・・・」

「そうか。それは、すまなかった。」

「うん。それはいい。でも・・・・・・」

 そう言っていたずらっぽくヒナノは笑う。こんな所がユイに似てきたな。

「ヒナ、お財布だけじゃなくて、バッグ、持ってない。」

「いいぞ。それも、買ってやる。」

 私の言葉に「ありがとう。」と答えられた。

 後日、ネットか何かで調べたのだろう「欲しいのがあるんだ。」そう言ったヒナノに、約束をした。「好きなのを買ってやる。」と。

「ふたつ有るんだけど、いいかな?」

「いくつでも買ってやるぞ。」

 私の言葉に苦笑いで返された。


 

 

 

 

 そんな幸せが此処にはあった。

 与える喜びと、ねだられる喜び。交わす言葉と、返される笑顔。

 だから、ヒナノ、早くよくなれ。

 鞄でも財布でも服でも靴でも何でも買ってやる。いや、違う、買いに行こう。一緒に買いに行こう。

 祈る様な気持ちで娘を見続けた。

 

 

 

 

 後日、待ちきれなかった私が入院中のヒナノの元へ財布と鞄を届けた。

「これを持って、買い物へ行こう。」

 そう言った私にユイの苦言が入る。

「もう、あなたはヒナノに甘いんだから。たまには私にも買ってくださいよ。」

 そう言われる事を前提としていたから、大丈夫だ。

「問題無い。」

 別の包みをユイに手渡した。お揃いで買ったおいたのだ。大きい方がユイで、小さい方がヒナノだ。

 赤木君や伊吹君やその他、その場にいた女性達に相談したので大丈夫だろう。

「空けてもいい?」

 未だにベッドから起き上がることに出来ないヒナノが言った。

「いいぞ。」

 私の言葉に、ユイが代わりに包みをといだ。

「ありがとう。」

 財布を手に笑顔を向けられた。

「どういたしまして。」

 そう言えた自分自身に驚いていると、ユイが残りの包みも開けていた。

「お揃いなんて、あなたにしては気が利いているわね。」

 そうだな。でも、それは伊吹君のアイデアだ。

「じゃぁ、ヒナノ。早く退院して二人でこれ持ってお出かけしましょ。」

 実に嬉しそうにユイが言う。

「いや、私の方が先だ。」

「いいじゃない。」

「いや、駄目だ。」

「もう、けちなんだから・・・・」

 ユイの笑顔を見たのも久しぶりな気がした。

 

 2010.08.20

 

 

 

A TO GA KI 

完成しました。

取り敢えずは・・・・・・よかったな・・と。

時間はかかったけど(パソコン事情と、携帯からだったので)、思ったよりもスムーズに書けたと思います。

ここで、ヒナノがお父さんに買ってもらったバッグは、きっと、冬月先生とのお食事会で持っていたものだと思われます。

多分、見る人が見たら、お高いモノだと妄想。

ユイさんは当たり前だろうし、ヒナちゃんは知らない、もしくは興味が無いから解らないだろうし。

アスカちゃん辺りが気付いて「え?」とかなっていそう。

そんな事を妄想しつつ・・・・・・・・・・・・・・

 

2010.08.20   名波 薫乃